ホクトヘリオス
品種: サラブレッド
性別: 牡
毛色: 芦毛
生誕: 1984年4月3日
死没: 1998年5月26日
父: パーソナリティ
母: ホクトヒショウ
生国: 日本(北海道浦河町)
生産: 斉藤英
馬主: 森滋
→金森森商事(株)
調教師: 中野隆良(美浦)
競走成績
生涯成績: 34戦6勝
獲得賞金: 3億5605万9000円
戦績
※馬齢は旧表記(数え年)で統一する。
3歳時の1986年に函館の新馬戦でデビュー。初戦は後の東京優駿(日本ダービー)優勝馬メリーナイスに3着と敗れたが、3週間後の新馬戦で勝ち上がる。その後、函館3歳ステークス、京成杯3歳ステークスと3連勝を飾るが、朝日杯3歳ステークスでは、再びメリーナイスの2着に敗れた。
明けて1987年、4歳となると、騎手をそれまでの南田美知雄から河内洋にスイッチしてクラシック路線に進む。しかし、弥生賞は1番人気に推されながら4着、皐月賞、東京優駿(日本ダービー)はともに13着と惨敗した。休養後は再び騎手を南田美知雄に戻し、福島民友カップで3着になったが、福島記念で10着、ダービー卿チャレンジトロフィーでは13着と、勝ち星をあげられずに終わった。
1988年、5歳の初戦となる中山競馬場開設60周年記念(オープン特別)で、初めて柴田善臣とコンビを組み、アタマ差の2着となる。以降はその年のスワンステークスで西浦勝一が騎乗したほかは、すべて柴田が騎乗した。
柴田が主戦になって以降、東京新聞杯も2着、当時GIIだったスプリンターズステークスで3着、京王杯スプリングカップで4着となり、続く安田記念でも4着と好走する。エプソムカップこそ8着に終わったが、新潟で施行された京王杯オータムハンデキャップをハナ差で制し、京成杯3歳ステークス以来の勝利をあげた。
西浦が騎乗したスワンステークスでは6着だったものの、続くマイルチャンピオンシップではサッカーボーイから4馬身の差をつけられはしたが2着に入り、その後の短距離路線での活躍を期待させる走りを見せた。その次走のダービー卿チャレンジトロフィーでは当然1番人気に推されたが、別定だがハンデ戦並みのトップ斤量60kgが堪えたのか3着に終わり、この年を終えた。
明けて1989年、6歳を迎えたホクトヘリオスは短距離路線で有力馬に数えられたが、3・4着に好走すれども勝ち運には恵まれず、結局この年も未勝利で終わることとなった。
1990年、7歳を迎えたホクトヘリオスは、この年の初戦となった東京新聞杯を、これまでの勝ち切れなさが嘘のような直線一気の追い込みを見せ久しぶりの勝利を挙げると、続く中山記念でも1馬身差をつけて勝利する。ようやく本格化と思わせたが、京王杯スプリングカップでは12着に敗退、安田記念も5着に終わった。マイルを守備範囲とするこの馬にとって2200mは長いものの宝塚記念に出走して7着となり引退した。
主な勝ち鞍
* 1986年
函館3歳ステークス (GIII)
京成杯3歳ステークス (GII)
* 1988年
京王杯オータムハンデキャップ (GIII)
* 1990年
東京新聞杯 (GIII)
中山記念 (GII)
主な兄弟姉妹馬
* ホクトビーナス(1986年生 父マルゼンスキー) 3戦2勝
主な戦績:2着 - 桜花賞 (GI)
* ホクトフィル(1990年生 父クリスタルグリッターズ) 19戦4勝
主な戦績:3着 - 朝日杯3歳ステークス (GI) 、ニュージーランドトロフィー4歳ステークス、セントライト記念 (GII)
柴田善臣とホクトヘリオス
柴田善臣とホクトヘリオスはお互いにとって切り離せない存在と言え、柴田善臣と言えばホクトヘリオス、ホクトヘリオスと言えば柴田善臣というイメージは今でも根強い。
実際、柴田は雑誌などのインタビューにおいて「ホクトヘリオスに競馬を教わった」と言うようなことを何度も語っている。ホクトヘリオスがデビューする1年前の1985年に騎手デビューした柴田にとっては初めての有力馬であり、何かと影響が大きかったものと思われる。一方で、ホクトヘリオスの入着はするものの勝ち切れないイメージが、そのまま柴田のイメージにつながっているのもまた事実であり、そういう点も含めて名コンビと言えるだろう。
因みに半妹のホクトビーナスも中野隆良厩舎所属で、同じ柴田善臣とのコンビで桜花賞に挑むも、シャダイカグラに頭差差し切られ、僅差でGI制覇を逃している。
血統表
ホクトヘリオスの血統 Hail to Reason系/Hail to Reason 2×4=31.25%
父
* Personality
1967 鹿毛 Hail to Reason
1958 黒鹿毛 Turn-to Royal Charger
Source Sucree
Nothirdchance Blue Swords
Galla Colors
Affectionately
1960 黒鹿毛 Swaps Khaled
Iron Reward
Searching War Admiral
Big Hurry
母
ホクトヒショウ
1976 芦毛 * Baldric
1961 黒鹿毛 Round Table Princequillo
Knight's Daughter
Two Cities Johnstown
Vienna
* Gallant Glow
1968 芦毛 Turn to Reason Hail to Reason
Insolence
Welcome Glow Gallant Man
Candlelight F-No.4-r
2008年04月26日
メリーナイス
メリーナイス
品種: サラブレッド
性別: 牡
毛色: 栗毛
生誕: 1984年3月22日(24歳)
死没: -
父: コリムスキー
母: ツキメリー
生国: 日本(北海道静内町)
生産: 前田透
馬主: 浦房子
調教師: 橋本輝雄(美浦)
競走成績
生涯成績: 14戦5勝
獲得賞金: 2億0355万4900円
戦績
デビュー〜東京優駿まで
1986年8月3日、函館競馬場でデビュー。均整の取れた馬体と、調教で見せる優れた瞬発力から注目され、1番人気に推され、これに応えて勝利する。続く2戦目コスモス賞はゴールドシチーの4着、3戦目りんどう賞はこの世代の一番馬と目されていたサクラロータリーにアタマ差の2着と敗れる。続くいちょう特別で2勝目を挙げると、GI朝日杯3歳ステークスに臨んだ。
頭ひとつ抜けた存在と見られたサクラロータリーが骨折で戦線を離脱していたため、レースは混戦模様となり評価が割れる中、メリーナイスは重賞2連勝でここに臨んだホクトヘリオスに続く2番人気に支持された。レースでは好位に取り付き、直線で力強く抜け出すと1馬身半差で快勝した。この勝利によって、メリーナイスは関西で阪神3歳ステークスを制したゴールドシチーと共に最優秀3歳牡馬に選ばれた。
明けて迎えた4歳シーズンは、スプリングステークスから始動する。しかしマティリアルの世紀の差し切り劇の前に見せ場なく9着に敗れ、続くクラシック初戦、皐月賞でも7着に敗れる。そして迎えた東京優駿では、皐月賞馬サクラスターオーの不在で同3着のマティリアルに人気が集中する中、4番人気に推された。
レースではマティリアルにマークされる形で中団を進んたが、4コーナーでらスルスルと先行集団に取り付くと、直線では逃げ粘るサニースワローをあっさりとかわしてそのまま差を広げ続け、最終的にサニースワローに6馬身差を付けて見事に勝利を収めた。この着差はダービーの着差としては史上4番目の大差で手綱を取った根本康広は「後続馬の足音が聞こえなかった」と語り、後にJRAが作成したメリーナイスのポスターで、『四白流星、六馬身』というキャッチコピーに使われるほどの圧勝だった。
その後
秋は菊花賞トライアルのセントライト記念から始動し、これを勝利。しかし本番の菊花賞では一番人気に支持されたが、骨折からぶっつけで参戦したサクラスターオーの激走の前に9着に敗れ、年末の有馬記念に至ってはスタートと同時に根本騎手を振り落としてしまい落馬競走中止となってしまう。
翌年緒戦の目黒記念こそ2着に粘りこむものの、天皇賞(春)では、クラシックの頃は一介の条件馬だった同期のタマモクロスの前に14着と大敗を喫する。捲土重来を期した函館記念では、1歳下の阪神3歳ステークス勝ち馬・サッカーボーイの日本レコード駆けに完敗するも、シリウスシンボリ、マックスビューティといったGI馬を抑えて2着となり意地を見せた。その後、秋の天皇賞に向けて調整が行われていたが、調教中に骨折。この函館記念を最後に現役引退した。
引退後
引退後は、1989年からレックススタッドで種牡馬入りした。しかし重賞馬を2頭輩出したものの、1999年に後継馬を残せないまま種牡馬から引退した。
種牡馬引退後は長野県のスエトシ牧場で繋養されていたが、2007年11月27日に浦河町の渡辺牧場へ移動した。
主な産駒
* マイネルリマーク(共同通信杯4歳ステークス)
* イイデライナー(京都4歳特別)
備考
* メリーナイスがクラシック戦線を戦っている最中に、映画『優駿』が日本中央競馬会の肝煎りで制作されており、本馬は映画作中に登場する競走馬オラシオンのモデルとなっている。最初この映画には本物の東京優駿のシーンが使われる予定であった。しかし、映画の関係者は1番人気のマティリアルのあまりの前評判ゆえ、この馬が東京優駿に勝つものと信じきってカメラはマティリアルだけを追い、勝ったメリーナイスを撮影していないという、毎週馬券を買う競馬ファンからすればとても信じられない様なミスを犯してしまった。このため、後に別の馬で映像を作成して代用せざるを得なくなったと言うエピソードがある。
o なお、この映画でメリーナイスの仔役を「演じた」栗毛の馬には、流星の化粧を施してまで彼に似せて撮影をし、後にこの馬はマヤノオラシオンという馬名でデビューしたものの、良い成績は残せなかった、という後日談まである。
* メリーナイスの母であるツキメリーは地方競馬の大井競馬場の第3回東京3歳優駿牝馬の優勝馬である。
品種: サラブレッド
性別: 牡
毛色: 栗毛
生誕: 1984年3月22日(24歳)
死没: -
父: コリムスキー
母: ツキメリー
生国: 日本(北海道静内町)
生産: 前田透
馬主: 浦房子
調教師: 橋本輝雄(美浦)
競走成績
生涯成績: 14戦5勝
獲得賞金: 2億0355万4900円
戦績
デビュー〜東京優駿まで
1986年8月3日、函館競馬場でデビュー。均整の取れた馬体と、調教で見せる優れた瞬発力から注目され、1番人気に推され、これに応えて勝利する。続く2戦目コスモス賞はゴールドシチーの4着、3戦目りんどう賞はこの世代の一番馬と目されていたサクラロータリーにアタマ差の2着と敗れる。続くいちょう特別で2勝目を挙げると、GI朝日杯3歳ステークスに臨んだ。
頭ひとつ抜けた存在と見られたサクラロータリーが骨折で戦線を離脱していたため、レースは混戦模様となり評価が割れる中、メリーナイスは重賞2連勝でここに臨んだホクトヘリオスに続く2番人気に支持された。レースでは好位に取り付き、直線で力強く抜け出すと1馬身半差で快勝した。この勝利によって、メリーナイスは関西で阪神3歳ステークスを制したゴールドシチーと共に最優秀3歳牡馬に選ばれた。
明けて迎えた4歳シーズンは、スプリングステークスから始動する。しかしマティリアルの世紀の差し切り劇の前に見せ場なく9着に敗れ、続くクラシック初戦、皐月賞でも7着に敗れる。そして迎えた東京優駿では、皐月賞馬サクラスターオーの不在で同3着のマティリアルに人気が集中する中、4番人気に推された。
レースではマティリアルにマークされる形で中団を進んたが、4コーナーでらスルスルと先行集団に取り付くと、直線では逃げ粘るサニースワローをあっさりとかわしてそのまま差を広げ続け、最終的にサニースワローに6馬身差を付けて見事に勝利を収めた。この着差はダービーの着差としては史上4番目の大差で手綱を取った根本康広は「後続馬の足音が聞こえなかった」と語り、後にJRAが作成したメリーナイスのポスターで、『四白流星、六馬身』というキャッチコピーに使われるほどの圧勝だった。
その後
秋は菊花賞トライアルのセントライト記念から始動し、これを勝利。しかし本番の菊花賞では一番人気に支持されたが、骨折からぶっつけで参戦したサクラスターオーの激走の前に9着に敗れ、年末の有馬記念に至ってはスタートと同時に根本騎手を振り落としてしまい落馬競走中止となってしまう。
翌年緒戦の目黒記念こそ2着に粘りこむものの、天皇賞(春)では、クラシックの頃は一介の条件馬だった同期のタマモクロスの前に14着と大敗を喫する。捲土重来を期した函館記念では、1歳下の阪神3歳ステークス勝ち馬・サッカーボーイの日本レコード駆けに完敗するも、シリウスシンボリ、マックスビューティといったGI馬を抑えて2着となり意地を見せた。その後、秋の天皇賞に向けて調整が行われていたが、調教中に骨折。この函館記念を最後に現役引退した。
引退後
引退後は、1989年からレックススタッドで種牡馬入りした。しかし重賞馬を2頭輩出したものの、1999年に後継馬を残せないまま種牡馬から引退した。
種牡馬引退後は長野県のスエトシ牧場で繋養されていたが、2007年11月27日に浦河町の渡辺牧場へ移動した。
主な産駒
* マイネルリマーク(共同通信杯4歳ステークス)
* イイデライナー(京都4歳特別)
備考
* メリーナイスがクラシック戦線を戦っている最中に、映画『優駿』が日本中央競馬会の肝煎りで制作されており、本馬は映画作中に登場する競走馬オラシオンのモデルとなっている。最初この映画には本物の東京優駿のシーンが使われる予定であった。しかし、映画の関係者は1番人気のマティリアルのあまりの前評判ゆえ、この馬が東京優駿に勝つものと信じきってカメラはマティリアルだけを追い、勝ったメリーナイスを撮影していないという、毎週馬券を買う競馬ファンからすればとても信じられない様なミスを犯してしまった。このため、後に別の馬で映像を作成して代用せざるを得なくなったと言うエピソードがある。
o なお、この映画でメリーナイスの仔役を「演じた」栗毛の馬には、流星の化粧を施してまで彼に似せて撮影をし、後にこの馬はマヤノオラシオンという馬名でデビューしたものの、良い成績は残せなかった、という後日談まである。
* メリーナイスの母であるツキメリーは地方競馬の大井競馬場の第3回東京3歳優駿牝馬の優勝馬である。
ニッポーテイオー
ニッポーテイオー
品種: サラブレッド
性別: 牡
毛色: 鹿毛
生誕: 1983年4月21日(25歳)
死没: 生存中
父: リイフォー
母: チヨダマサコ
生国: 日本(北海道静内町)
生産: 千代田牧場
馬主: 山石祐一
調教師: 久保田金造(美浦南)
競走成績
生涯成績: 21戦8勝
獲得賞金: 5億4498万8000円
戦績
新馬戦でいきなり大差勝ちしたが、気性の荒さが災いしてかなかなか2勝目を挙げられなかった。皐月賞に出走するも21頭立て12番人気で8着に敗れ、次走のNHK杯でも8着に敗れると、陣営は東京優駿(日本ダービー)を諦め、短距離路線へと方針を変える。ニュージーランドトロフィ4歳ステークスを快勝すると、ラジオたんぱ賞では皐月賞優勝馬ダイナコスモスの2着、函館記念でレコード勝ち、毎日王冠ではサクラユタカオーの2着、スワンステークスでは1番人気に応え勝利し、マイルチャンピオンシップに臨む。しかし、1番人気に支持されたものの、タカラスチールの2着に敗れる。
5歳となり、京王杯スプリングカップを勝って臨んだ安田記念では、圧倒的人気を得るもフレッシュボイスの大外一気の前に2着に屈する。その後は宝塚記念で2着、毎日王冠も3着と敗れるが、天皇賞(秋)では、5馬身差で快勝すると、続くマイルチャンピオンシップも5馬身差で快勝し、前年の雪辱を果たした。
6歳も前年と同様に京王杯スプリングカップから始動するが、前年の2着馬ダイナアクトレスにアタマ差敗れる。しかし、次走の安田記念ではきっちり1馬身差で勝利し、前年2着の雪辱をここでも果たす。そして宝塚記念では、タマモクロスと対決することとなり、マイラーのニッポーテイオーと長距離が得意なタマモクロスではこの距離ならどちらが強いのかと競馬ファンの興味をひいた。単勝はニッポーテイオーが1番人気だったが、結果は2馬身半差の2着に敗れ、このレースを最後に引退した。
引退後
種牡馬としては自身ほどの安定して優れた成績を残す馬はまだ出ていない。また、ハルウララの父としても知られている。現在は、北海道浦河町のうらかわ優駿ビレッジAERUに繋養されている。
主な産駒
* インターマイウェイ(大阪杯(G2)、函館記念(G2))
* ダイタクテイオー(毎日杯(G3))
* ヤスノテイオー(秋陽ジャンプS、イルミネーションJS、阪神スプリングジャンプ(G2)3着)
* カズノシラオキ(セントウルステークス(G3)3着)
母の父として、スプリングゲント(東京ハイジャンプ(G2)、京都ハイジャンプ(G2)、京都ジャンプステークス(G3))や、トップコーリング(牛若丸ジャンプS)など障害競走で活躍する馬を何頭も輩出している。
血統表
ニッポーテイオーの血統 リファール系/4代内アウトブリード
父
*リイフォー
Lypheor
1975 黒鹿毛 Lyphard
1969 鹿毛 Northern Dancer Nearctic
Natalma
Goofed Court Martial
Barra
Klaizia
1965 鹿毛 Sing Sing Tudor Minstrel
Agin the Law
Klainia Klairon
Kalitka
母
チヨダマサコ
1977 鹿毛 *ラバージョン
Lover John
1971 栗毛 Damascus Sword Dancer
Kerala
Evening Primrose Nashua
Blue Grotto
ミスオーハヤブサ
1973 鹿毛 *パーソロン
Partholon Milesian
Paleo
ワールドハヤブサ *ダイハード
オーハヤブサ F-No.12
品種: サラブレッド
性別: 牡
毛色: 鹿毛
生誕: 1983年4月21日(25歳)
死没: 生存中
父: リイフォー
母: チヨダマサコ
生国: 日本(北海道静内町)
生産: 千代田牧場
馬主: 山石祐一
調教師: 久保田金造(美浦南)
競走成績
生涯成績: 21戦8勝
獲得賞金: 5億4498万8000円
戦績
新馬戦でいきなり大差勝ちしたが、気性の荒さが災いしてかなかなか2勝目を挙げられなかった。皐月賞に出走するも21頭立て12番人気で8着に敗れ、次走のNHK杯でも8着に敗れると、陣営は東京優駿(日本ダービー)を諦め、短距離路線へと方針を変える。ニュージーランドトロフィ4歳ステークスを快勝すると、ラジオたんぱ賞では皐月賞優勝馬ダイナコスモスの2着、函館記念でレコード勝ち、毎日王冠ではサクラユタカオーの2着、スワンステークスでは1番人気に応え勝利し、マイルチャンピオンシップに臨む。しかし、1番人気に支持されたものの、タカラスチールの2着に敗れる。
5歳となり、京王杯スプリングカップを勝って臨んだ安田記念では、圧倒的人気を得るもフレッシュボイスの大外一気の前に2着に屈する。その後は宝塚記念で2着、毎日王冠も3着と敗れるが、天皇賞(秋)では、5馬身差で快勝すると、続くマイルチャンピオンシップも5馬身差で快勝し、前年の雪辱を果たした。
6歳も前年と同様に京王杯スプリングカップから始動するが、前年の2着馬ダイナアクトレスにアタマ差敗れる。しかし、次走の安田記念ではきっちり1馬身差で勝利し、前年2着の雪辱をここでも果たす。そして宝塚記念では、タマモクロスと対決することとなり、マイラーのニッポーテイオーと長距離が得意なタマモクロスではこの距離ならどちらが強いのかと競馬ファンの興味をひいた。単勝はニッポーテイオーが1番人気だったが、結果は2馬身半差の2着に敗れ、このレースを最後に引退した。
引退後
種牡馬としては自身ほどの安定して優れた成績を残す馬はまだ出ていない。また、ハルウララの父としても知られている。現在は、北海道浦河町のうらかわ優駿ビレッジAERUに繋養されている。
主な産駒
* インターマイウェイ(大阪杯(G2)、函館記念(G2))
* ダイタクテイオー(毎日杯(G3))
* ヤスノテイオー(秋陽ジャンプS、イルミネーションJS、阪神スプリングジャンプ(G2)3着)
* カズノシラオキ(セントウルステークス(G3)3着)
母の父として、スプリングゲント(東京ハイジャンプ(G2)、京都ハイジャンプ(G2)、京都ジャンプステークス(G3))や、トップコーリング(牛若丸ジャンプS)など障害競走で活躍する馬を何頭も輩出している。
血統表
ニッポーテイオーの血統 リファール系/4代内アウトブリード
父
*リイフォー
Lypheor
1975 黒鹿毛 Lyphard
1969 鹿毛 Northern Dancer Nearctic
Natalma
Goofed Court Martial
Barra
Klaizia
1965 鹿毛 Sing Sing Tudor Minstrel
Agin the Law
Klainia Klairon
Kalitka
母
チヨダマサコ
1977 鹿毛 *ラバージョン
Lover John
1971 栗毛 Damascus Sword Dancer
Kerala
Evening Primrose Nashua
Blue Grotto
ミスオーハヤブサ
1973 鹿毛 *パーソロン
Partholon Milesian
Paleo
ワールドハヤブサ *ダイハード
オーハヤブサ F-No.12

